ケータイ辞書JLogosロゴ 平野沢村(近世)


秋田県>山内村

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国平鹿【ひらか】郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに蒲菊【がまぎく】村を枝郷とする93石余の村として図示。「宝永2年黒印高帳」で当高112石余,「享保黒印高帳」で村高150石余・当高122石余(うち本田50・本田並9・新田62),「寛政村附帳」で当高129石余(うち蔵分86・給分43)と認定。親郷横手町の寄郷山内村9か村中の1村であり,肝煎の代わりに帳蓋役が置かれた。枝郷的寄郷といえる村であるが,当村内にはさらに相野々【あいのの】・岩野目・檜沢【ひざわ】・中野又・何盃【なんばい】・吉谷地【よしやち】・狼坂【おいぬざか】・武道(蒲菊)の枝郷8か村がある。「享保郡邑記」では家数128軒(うち枝郷89軒)。「雪の出羽路」では653人。草分け百姓川越家の中興の祖弥之助は江戸相撲(しこ名山内御代之助)として,元禄年間藩公のお抱え力士となり,公儀お抱え力士に勝ち,藩公より大小ならびに1代6人扶持を給された。また川越家は平野沢一帯の地主で,享保より安永年間までの藩への御用金・上納米の総額は銀25貫目余・米1,600俵余に達し,天保13年以降もしばしば藩への御用金・御用米に応じ,慶応3年に改めて永苗字帯刀御免となった(慶応3年被申渡候目録)。雄勝【おがち】郡に属していた武道山も寛文5年山内村に編入(増田町郷土史),18世紀後半より平鹿郡20数か村の入会運上山となっている。当村は山元村として入会村から運上米・銀を徴収。一方,文政2年当村百姓の鹿畑(焼畑)開墾などにより,入会村の草飼場が不足し迷惑している旨の訴えが藩へ出されている(守屋家文書/増田町郷土史)。「文政13年横手山内菅糸御買上取調帳」では,平野沢・葭谷地での養蚕を記す。「雪の出羽路」でも檜沢村葦倉で「あしくら莨」といわれたタバコ栽培を記す。真宗大谷派綱取山正念寺,鎮守の藍婆【らんば】堂社のほか山神社がある。「天保郷帳」122石余。「明治4年御物成皆済目録」では145石余。明治22年平鹿郡山内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260801
最終更新日:2009-03-01




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