ケータイ辞書JLogosロゴ 福川村(近世)


秋田県>若美町

 江戸期〜明治22年の村名。秋田郡のうち。秋田藩領。元和3年頃から助川伝五をはじめとする11名の武士によって指紙開が行われ,寛政期以降野石村肝煎佐藤新三郎によって注進開が行われた。「正保国絵図」では46石。「享保黒印高帳」では村高70石・当高60石(うち本田40・本田並18・新田2),「寛政村附帳」で当高72石(うち蔵分42・給分30),「天保郷帳」60石余,「絹篩新集」87石とある。戸数は「享保郡邑記」で23軒,「絹篩新集」で27軒,鵜木村の寄郷で湖猟を業とした。鎮守山神神社の祭礼は4月15日,曹洞宗福昌寺は天王自性院の末。「此村薪炭乏し,畑一円なし。余勢湖猟」と記されたこの村も,かつては杉山で真言・天台宗の寺があり,男鹿真山光飯寺はここから移ったとの伝えがある(絹篩新集)。同22年南秋田郡払戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260828
最終更新日:2009-03-01




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