ケータイ辞書JLogosロゴ 三里村(中世)


秋田県>合川町

 戦国期に見える村名。はじめ陸奥国比内【ひない】郡のうち。秋田氏領となり,出羽国秋田郡に所属。天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「につ里村・こん田村」68石余と記載(秋田家文書)。中世には唯一の所見史料。写ではあるが,「丹つ里村」と変体仮名の「に」を明記し,「みつ里」ではない。上記朱印状写では,当村記載の前後の村々が旧陸奥国比内郡阿仁地方の村々であるので,当村も阿仁地方に所在した村とみられる。地名の由来として伝えられる摩当沢上流の烏帽子峠の「二の里」付近かとも推定できるが,当地方の近世に継承される村々のうち,同朱印状写には三里村が見えないので,一応「につ里村」を三里村に継承された村と比定しておく。摩当沢の地主(肝煎)金田家が「二の里」から移住したという所伝を持っているので(町史),「丹つ里村」「二の里」所在説も捨てがたいが,上記の比定に従うと,朱印状写記載の石高のうち当村分は,慶長8年頃の根田【こんだ】・三里両村の村高から按分すると約36石前後となる。なお集落背後の山麓に安置する室町期頃の製作になるかという石仏地蔵尊は,元禄期頃に上方より舟で運び込んだものという(町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261122
最終更新日:2009-03-01




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