ケータイ辞書JLogosロゴ 三里村(近世)


秋田県>合川町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。慶長8年の村高249石余と推定。「正保国絵図」は251石,「元禄7郡絵図」は231石余の村と図示。西方の秋田杉の美林地帯は「大内沢【おおないさわ】」の名称下に藩御直山に指定,当村はその麓村として山林管理を担当。根田から大内沢を経て西方の田代新田村に至る主要山路があった(正保国絵図)。その中間に貞享元年開村した大内沢村は当村枝郷となる。「享保黒印高帳」では村高268石余・当高237石余(うち本田220・新田17),「寛政村附帳」で当高249石余(すべて蔵分)と認定。「天保郷帳」は237石余。戸数は「享保郡邑記」「秋田風土記」ともに40軒(うち枝郷分7)。親郷不設置の下小阿仁地方の1村として,年行事が郷用を勤める。当初は浅利旧臣松橋氏の子孫が村肝煎を勤めたとみられるが,18世紀以降は南接の三木田【みつきだ】村または鎌沢【かまのさわ】村の肝煎が当村肝煎を兼帯し,藩交付の黒印御定書も当村単独宛てではなくなる。当地区ではこの寄郷を地主郷と称している。なお宝暦5年大内沢のほぼ全山に銅山木山も入り,山間に当村ほか4か村の鉋伐入会が許可される。羽州街道助郷として,天保13年小繋【こつなぎ】村に船3隻を提出。村鎮守熊野社のほか,修験金蔵院・万法院があった。慶応3年全村55軒のうち41軒を焼失する大火に遭う(町史)。明治22年北秋田郡下小阿仁村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261123
最終更新日:2009-03-01




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