ケータイ辞書JLogosロゴ 六郷本館村(近世)


秋田県>六郷町

 江戸期〜明治10年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに六郷町として図示。江戸期を通じて親郷六郷高野【ろくごうこうや】村の寄郷となるが,六郷川内池【ろくごうかわないけ】村とともに,3村一体で羽州街道の駅場を担当。宝永7年当村から伝馬勤方が公平を欠くと藩に上訴したこともある(六郷の歴史)。枝郷に八幡・大原田(大荒田)の両村を擁する。なお戸数は「享保郡邑記」で10軒(うち枝郷分2)とある。肝煎以下百姓は東接の六郷高野村に居住という(月の出羽路)。「享保黒印高帳」で村高708石余・当高732石余(うち本田678・本田並12・新田42),「寛政村附帳」で当高720石余(うち蔵分713・給分7)と認定。肝煎は寛政年中の清川清兵衛,文化年中の栗林作兵衛など(月の出羽路)。村鎮守八幡神社のほか,田岡稲荷社がある。「天保郷帳」732石余。「元治元年仙北郡村々取調帳」では当高729石余,20軒・112人・馬13頭(小貫家文書)。明治10年六郷村の一部となる。当時の戸数20・人口122。村名は現在,小字にも伝わらない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261517
最終更新日:2009-03-01




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