ケータイ辞書JLogosロゴ 阿古屋(古代)


山形県>山形市

平安期から見える地名阿古耶とも書く村山郡のうち古来歌枕「あこやの松」として知られ,一説には千歳山の旧名ともいう(地名辞書)「陸奥の阿古屋の松に木隠れて出づべき月のいでもやらぬか」(国歌大観)という詠み人知らずの古歌で知られ,藤原顕仲も「おぼつかないざいにしへのこととはんあこやの松とものがたりして」(堀河院御時百首和歌/群書)と詠んでいる鎌倉初期の成立にかかる源顕兼の「古事談」には,平安期の歌人藤原実方と「あこやの松」に関する説話が載せられている実方は藤原行成と争ったため一条天皇の気色を損じ,陸奥国の歌枕を見て来るようにと陸奥守に任ぜられ左遷された旨が「十訓抄」に見える着任後実方は陸奥国の歌枕を見て歩いたが,ある時「あこやの松」を探し回ったがなかなか見つからず,土地の古老に尋ねたところ,「あこやの松」は陸奥国内ではなく,陸奥国から出羽国が分かれて以後出羽国のうちとなったと答えたという出羽国分立は「続日本紀」によれば和銅5年のことであり,この説話の歴史的信憑性については無理があるが,阿古屋はかなり古くからの地名であったことがわかるこの実方と「あこやの松」に関するこれと同様の説話は,「平家物語」の「阿古屋之松」の段,「源平盛衰記」の「日本国広狭事」の条にも載せられ,謡曲「阿古屋松」で知られるまた南北朝期の紀行文である宗久の「都のつと」(群書)にもこの説話をふまえて「それより出羽国へこえて,あこやの松などみめぐりつつ」と記されているその後室町期の御伽草子「小野草紙」にも「あこやの松やあねは(現宮城県金成町姉歯)の松人ならば,都の旅に誘ふべきと,よみし歌の枕を」とある(御伽草子/古典大系)なお中世後期のものと思われる蜷川家古文書中の年月日欠の折紙(内閣文庫所蔵)には,出羽国の名所が列挙されており,そのなかに「一,アコヤノ松」と見えるまた「出羽国風土略記」には,千歳山の頂上に「あこや」という地があり,当地に隠住したという阿古屋姫の伝説が記されているまた江戸期の紀行家橘南谿の「東西遊記」にも「実方中将の尋詫給ひけるといふ阿古屋の松は,昔奥州と聞しに,今は出羽国の内に属して,山形の城下より坤の方とも覚して,二里ばかりを隔てたり,其地を千歳山と云」とある一般に「あこやの松」は万松寺の松とされており,村山地方,現在の山形市大字平清水を中心とするあたりか
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261589
最終更新日:2009-03-01




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