ケータイ辞書JLogosロゴ 荒瀬町(近世〜近代)


山形県>酒田市

江戸期〜昭和42年の町名明治22年頃一時期酒田を冠称江戸期は亀ケ崎城下東禅寺分のうちで,米屋町組の1つ明治22年酒田町,昭和8年からは酒田市の町名酒田東南部に位置する町名は荒瀬郷から運ばれた米の蔵があったことに由来する(飽海郡誌)明暦2年の酒田町絵図では,長さ42間,屋敷18軒天和2年の町割家数人数書上帳(県史17)では,家数25軒・人数154貞享3年家数25軒(酒田市立光丘図書館蔵,野附家文書)米屋町大庄屋野附七郎兵衛は貞享元年より明治期まで当町に屋敷を置いた宝暦元年当町より出火,酒田全域のうち,2,399軒,瀬取船10艘,蔵入米・大豆・小豆・大麦・小麦など10万6,600俵余,煙草1万箱を焼き,死者80を出す(同前)鎮守は荒川稲荷神社で寛文年間の創建という明治3年の総家数並寺院畝数調では,家数30軒(酒田市立光丘図書館蔵,野附家文書)地内には新井田川船運従事者が多く居住したが,大正3年国道47号や鉄道の開通により建設業に転ずる者が多かった明治11年の一覧全図では,反別9反余,戸数30・人口155昭和42年一番町・新井田町の各一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261682
最終更新日:2009-03-01




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