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- 安良町(近世)とは
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安良町(近世) 江戸期~明治7年の町名小浜町の1町江戸初期には荒町と書き,寛文年間から延宝年間の間に安良町と書くようになった新町・魚屋町・瀬木町と接し,北側は海浜(拾椎雑話)寛永17年の夫代銀は上町に位置付けられ,坪あたり2分2厘5毛とされている(江口夫右衛門覚書)また,嘉永元年の願文証文并諸事控によれば区分が東・中・西に変わり,当町は東に格付けされているなお,寛文11年6月藩主の前で六番長柄として祇園会の練物を,延宝7年には二番として花筏の練物を,同8年6月の祇園会には魚屋町とともに湯立の山車を出している寛文2年5月1日から1か月間地震が頻発し,当町に被害が出ているまた,享保4年7月1日の夜本町から出火し当町も類焼(拾椎雑話)文政12年7月には当町の西津屋勘兵衛を含めた料理人6名が料理屋仲間の結成を願い出て許可されている(寺川家文書)明治6年の戸数47同7年塩竈町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安良町(近世) 江戸期の町名善光寺町の一町善光寺大勧進の南西に位置する南北の町で,北は新道,南は桜小路と接する(弘化4年善光寺大地震後の火災之図/長野市史)なお,明治12年の長野町図(長野市史)でも同位置に見え,北は横沢町,東は上西之門町と接する明治4年善光寺領は廃止され,これに伴って以後は長野村・長野町の各一部となり,現在長野市長野のうちに含まれる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」