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山形県>真室川町

 江戸期〜明治22年の村名。江戸期には真室を冠称。最上郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領。庭月郷に属す。村高は,「新田本新庄領村鑑」では元和8年1,190石余・元禄13年1,301石余,「天保郷帳」本村1,487石余,枝郷平岡村193石余,「旧高旧領」697石余。はじめは鮭延【さけのべ】氏の居城であった鮭延城(真室城)の城下町で,「新庄古老覚書」には「何れの頃か真室新町も金山村内町の者を被移候由」と見える。元禄年間に枝郷平岡村を分村(新田本新庄領村鑑)。明和3年の反別43町3反余,年貢高743俵余,家数・人数は,寛政6年20軒・133,文化9年25軒・165,文化12年の馬16(吉村本新庄領村鑑)。神社は,牛頭天王社・山神社。寺院は,曹洞宗正源寺,同寺は鮭延氏の菩提寺。ほかに真言宗安養寺,当山派修験三蔵院がある。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別93町1反余,戸数33・人口114,新町学校がある。明治11年最上郡に属し,同22年真室川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261699
最終更新日:2009-03-01




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