ケータイ辞書JLogosロゴ 石名坂村(近世)


山形県>鮭川村

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領。庭月郷に属す。村高は,「新田本新庄領村鑑」では石奈坂村と見え,元和8年237石余・元禄13年245石余,「天保郷帳」には石奈坂村と見え313石余,「旧高旧領」では719石余。当村はもとは現在地の南西,西流してきた最上内川が南へ曲がるあたりにあった。しかし洪水のたびに水をかぶるため,いつの頃か現在地に移ったという(増訂最上郡史)。文久2年地内から宋銭45貫文が発見され,その内に明銭が1枚もないことから,室町中期以前に埋蔵されたと思われる(同前)。「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年61町余,文化元年61町余うち田方43町余,年貢高は明和3年1,021俵余うち田方942俵余,家数・人数は寛政6年34軒・225(うち枝郷4軒・25),文化9年36軒・216,文化9年の馬31,枝郷に小舟山がある。寺社は,葉山派修験多宝院・愛宕神社。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。明治11年の一覧全図では,反別106町余,戸数・人口は42・260。明治11年最上郡に属し,同22年豊里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7261753
最終更新日:2009-03-01




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