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「内町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

内町(近世)


江戸期~明治9年の地名内村・内町村とも称した庄内地方,庄内平野の中央部,最上川右岸に位置するはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうち庄内藩領平...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7261906]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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内町(近世)

江戸期の広域地名長崎町のうち長崎港に注ぐ中島川河口右岸に位置する長崎町のうち当初からの豊臣氏直轄領(のち幕府領)に成立した町々を総称した町名は地子免除の内に含まれた町々で構成されていたことに由来するという外町に対する名元亀2年ポルトガルとの貿易地として開港された長崎に,はじめて大村町・島原町・平戸町・横瀬浦町・外浦【ほかうら】町・分知町の6か町が造成され,文禄元年までに23か町に増加し,内町と総称されるようになった慶長2年内町23か町の町域が確定され,寛永18年頃までに成立当時の6か町のほか,江戸町・内下町・樺島町・本博多町・新町・本興善町・後興善町・築町・引地町・金屋町・今町・本五島町・浦五島町・豊後町・桜町・東町(喜蔵町)・小川町・内中町・船津町の合計25か町が成立したさらに正保年間までに横瀬浦町は平戸町の,分知町は外浦町の,東町は桜町のそれぞれ一部となり,ほかに堀町が新たに成立して23か町となったついで寛文12年の大町分割の措置によって,内下町が本下町と今下町に,築町が東築町と西築町に分かれ,また後興善町から新興善町が起立して26か町に定着をみた町の規模は,寛文3年の町数23か町,町の長さ3,835間・家持725(寛宝日記),同12年の町数26か町(船手11・陸手【おかて】15),町の長さ4,656間,実箇所数917余,諸役御免箇所102(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば,竈数2,076,戸数2,506・人数6,611(男3,280・女3,331)

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
江戸期の町名豊後国海部【あまべ】郡佐伯【さいき】荘のうち番匠【ばんじよう】川支流中川の左岸域,現佐伯市街の中心部の一画に位置する塩屋村のうち通称上中町・上古市【かみふるいち】町・上中嶋【かみなかしま】町・横町・土井【どい】町で構成慶長9年頃と推定される佐伯城の築城に際して城下町の整備が進められ当町が成立「仮名付帳」に「諸商人共居住仕候町屋」とあるように商人町として発展,文政9年当時,安土屋・阿波屋・河内屋・大和屋・土佐屋・和泉屋などの屋号をもつ商家が軒をつらねており(御城下分見明細図絵),船頭町とともに両町と称された宝永2年大火で282軒焼失同3年当町に居住する百姓を郊外の中村に移住させ,跡地を中・下級家臣の屋敷地とした元文元年大火で337軒焼失のあと,屋敷地の割替えを行い上中町・上古市町・上中嶋町を商人町に設定,この時もまた市街内居住の百姓をすべて中村に移した本格的な商人町となったのはこのときと思われる大火で明和6年312軒,寛政10年71軒文化6年156軒を焼失した(佐伯市史)文化7年の商家の家数は船頭町と合わせて219軒,人口1,004(温故知新録)文政9年の屋敷数190・坪数6,027坪余,屋号を持つ商家数は横町筋7・古市町筋9・中嶋町筋23・中町筋17・土井町筋6(明細図絵)明治期以降は通称町名だったが,昭和53年の住居表示の際,通称大手区・本町区の各一部を合わせた町名となった...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
江戸期~明治11年の町名三次町3か町の1町三次盆地の中心,西城川の形成した舌状に南へのびる沖積平地のほぼ中央部に東西に発達した町人地三次藩時代に家臣団の屋敷地に予定されていた地域内に立地したために家中町・沖之原町といったというまた三次藩士山野氏の名をとって山野町とも称したという俗説もあった(国郡志書出帳)その後藩主浅野長澄が,堤防内に位置するところから内町と改称した(同前)正徳年間の三次町絵図(芸備諸郡駅所市町絵図)に「内町 幅三間 長三町」とある大工町・西町からなる享保3年に戸数89・竈数361・人数777,鈩所6・鍛冶屋16(国郡志書出帳),文政3年には戸数171・竈数192(同前),さらに「当町ニ毎年三月下旬牛馬市立,芝居見せ物茶店之賑ひ近在のもの市立を成,此市往古相立,中古ハ及中絶候,又天明之頃より相立申候」と記す(同前)また当町の西端の江の川に接するところは運上場となっており,とくに可愛【えの】川上流の高田郡や江の川下流の三次郡川下組の村々との間を川船で結んでいた明治期になって,江の川の河口江津(島根県)と結んで発展した明治11年上里村の一部となり,のちは通称町名になった...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
江戸期~明治9年の町名水内郡のうち長沼内町ともいう千曲川左岸に位置し,北国脇街道沿いの街村江戸前期には長沼城下町の1町であった地名の由来は,堀の内の町にちなむはじめ松代藩領,元和元年長沼藩領,元禄元年からは幕府領高は,「正保書上」206石余,「元禄郷帳」235石余,安永8年村高帳255石余,「天保郷帳」260石余,「旧高旧領」256石余なお,「慶長打立帳」では長沼村のうちに含まれている天保9年の家数30(うち寺1・社1)・人数143(男74・女68・僧1),守田神社2石・天神社2石・瀬関社5斗が除地になっており,長沼宿の定助郷を勤めた(村明細帳)戸口は,明和9年32戸・147人,文化元年32戸・136人,嘉永元年32戸・149人(長沼村史)明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属同9年長沼穂保町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
江戸期の町名亀ケ崎城下東禅寺分のうちで,内町組の1つ酒田南東部に位置する町名の由来は,亀ケ崎城の外郭内にあったことによる町分に内町(内村)がある元和8年武家屋敷を引きあげ町屋敷となる寛永年間,当町に本町からの小路を作り,横小路,または突貫【つきぬき】と称した当町にあった御町代官は寛永年間に御町奉行と改められ,明治2年まで存続した(飽海郡誌)明暦2年の酒田町絵図では,長さ169間・道幅5間,屋敷76軒天和2年の町割家数人数書上帳(県史17)では,家数84軒・人数612,横小路がある貞享3年,上内町と下内町に分かれる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
江戸期の汎称福山城下の町人屋敷地福山城の東,入川と吉津川に挟まれた今町・鍛冶屋町・深津町・桶屋町・上魚屋町・上米屋町・中米屋町・下米屋町・胡町・下魚屋町・大黒町・本町・上府中町・下府中町・笠岡町・船町北側の町並みを総称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世)
昭和53年~現在の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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