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- 馬町(近世)とは
「馬町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 馬町(近世) 江戸期~明治初年の町名江戸期は日光門前西町のうち「旧記」によれば,寛永15年1月27日「馬町弥陀堂ノ辺町屋ヨリ出火西町善養寺谷焼失」と見え,当時は阿弥陀堂や民家があったことがわかる寛永17年の町割の際に屋敷地となり,日光目代山口氏の役宅が置かれ,承応元年には日光山守護職梶定良が拝領屋敷を賜わり,梶の没後の元禄13年,日光奉行が置かれると梶の旧宅は奉行役宅となり,寛政3年の日光山の改革に際し,役所が増築され日光御役所と呼ばれた役所に接して,御蔵・組頭役宅・組同心長屋・日光学問所などが連なり,江戸期日光領統治の基幹を成した慶安5年八王子千人同心に日光火之番が命じられると,東町とともに当町にも火之番屋敷が置かれ,これに詰めた同心は「馬町番衆」と呼ばれた(教令類纂・日光山志)明治元年日光神領が収公されると旧奉行所は知県事出張所となり,同2年日光県の設置に伴い知県事役所となり,同4年6月転庁するまで続いた(県史近現代1)明治初年四軒町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬町(近世) 江戸期の町名渋谷通東大路東入2~3丁目の町をいう洛外町続町の1つ大和大路より東山阿弥陀ケ峰の北麓を経て山科・大津に通じる街道に面して開かれた町貞享元年刊「菟芸泥赴【つぎねふ】」によれば,源頼朝に献上する9足の珍馬を暫時ここに繋留したところ,見物人が群集したので町名となると伝えるまた一説に山科【やましな】から京都へ入る馬借たちの馬屋が多く,馬市などが開かれていたことによるともいう寛文12年洛中洛外大図に「馬町」,「宝暦町鑑」に「上馬町」「下馬町」とあり,江戸中期頃に2か町に分離... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬町(近世) 江戸期の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬町(近世) 江戸期の俗称地名本芝入横町をいった昔,馬喰【ばくろう】が住んでいたのでこの称があった(備考)現行の芝4丁目1番の南側,4番の北西部あたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」