ケータイ辞書JLogosロゴ 加藤村(近世)


山形県>三川町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ櫛引【くしびき】郡,寛文4年からは田川郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領。中川通に属す。村高は,元和8年の御知行目録では114石余,寛永元年の庄内検地高辻では143石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに167石余。幕末期の「弐郡詳記」では村高167石余,免3ツ3分,家数11軒。小村のため竹原田・菱沼・小尺【しようしやく】村とで四ケ村通りと称し,竹原田村居住の肝煎が統轄していた。農業用水は中川堰の分水堰を利用。鎮守は八幡神社。同社境内に,嘉永4年当社の開祖与右衛門を偲んで,正面に南無観世音菩薩,裏面に清正大明神と刻まれた石碑を建立。明治7年のワッパ騒動では,横山村の大庄屋・肝煎宅を襲い,諸帳簿公開を求めたが,その時の当村の指導者は長八・市右衛門。鶴岡県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別41町4反余,戸数11・人口75。明治11年東田川郡に属し,同22年横山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262352
最終更新日:2009-03-01




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