ケータイ辞書JLogosロゴ 上反田村(近世)


山形県>山形市

 江戸期〜明治22年の村名。村山郡のうち。はじめ山形藩領,延享3年下総佐倉藩領,翌4年陸奥棚倉藩領,安永3年からは再び佐倉藩領。江戸初期に反田村が上反田村・下反田村に分村して成立。村高は,「天保郷帳」478石余,村山石高帳によれば天保13年473石余,「旧高旧領」478石余。用水は,釣樋堰を利用。神社は八幡神社。寺院は西行の開基と伝えられる新義真言宗(智山派)安養寺。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別47町1反余,戸数54・人口332,反田学校がある。明治11年東村山郡に属し,同22年大曽根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262459
最終更新日:2009-03-01




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