ケータイ辞書JLogosロゴ 上土口村(近世)


山形県>三川町

江戸期〜明治9年の村名田川郡のうち庄内藩領中川通に属す寛永年間の村立て村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに58石余幕末期の「弐郡詳記」では村高58石余,免4ツ9分,家数15軒農業用水は中川堰の分水堰を利用用水の末流地域で水不足に苦しみ,天保15年上流菱沼村の捨水の分水を願い,新規堰立に成功これを記念して弘化3年に下土口村とともに石碑を建立草刈場が少なく,刈り取りをめぐって争いが多かった鎮守は八幡神社羽黒派修験の普門院がある横山村・廻館村(現余目【あまるめ】町)の者が移住して開発したため,寺院はそれぞれの村の寺に属する鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同9年の地租改正の過程で下土口村との合併願いが出され,同年下土口村と合併し土口村となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262467
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ