ケータイ辞書JLogosロゴ 北肴町(近世)


山形県>山形市

江戸期〜明治9年の町名江戸期は山形城下のうち東は小橋町,西は下条町,南は城北町,北は皆川町に接する笹谷峠を越えて仙台(現宮城県)から運ばれた魚類が小荷駄【こにだ】町裏の魚市で取り引きされ,そこを南肴町と呼んだのに対して当地は北肴町と呼ばれた最上川の水運による酒田からの魚が大量に入るようになると,小荷駄町の魚市が消滅し,当地がにぎわうようになった(山形市史)最上川を上せて船町で揚げた日本海方面からの塩魚や乾物が主であった最上川の水運がさらに盛んになると魚市が拡張され,北新町が形成された寛永13年の領地目録(家世実紀)の高406石余「寛文印知集」には北肴町村とある元禄年間の屋敷数113軒半,家主111,借家・店借18,人数622,高1,072石余,百姓33,北新町高674石余,百姓23,自身番所2,辻番所1,毎年7月17日から23日まで7日間市が立った(山形城下新古銘細記/山形市史資料40)寺院には曹洞宗青林寺がある天保13年の村山石高帳の高1,872石余「旧高旧領」では北肴町・新肴町合わせて1,768石余と見える明治9年新肴町と合併して肴町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262640
最終更新日:2009-03-01




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