ケータイ辞書JLogosロゴ 京塚村(近世)


山形県>鮭川村

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領。庭月郷に属す。村高は,「新田本新庄領村鑑」では元和8年1,305石余・元禄13年1,320石余,「天保郷帳」では1,281石余,ほかに当村の枝郷として佐渡村359石余・真木村82石余・牛穿村135石余,「旧高旧領」では1,803石余。「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年168町余うち田方129町余,文化元年168町余うち田方135町余,年貢高は明和3年・文化元年ともに2,495俵余うち田方2,355俵余,家数・人数は寛政6年95軒・436,文化9年78軒・483,文化12年の馬58,枝郷に上牛潜【かみうしくぐり】・下牛潜【しもうしくぐり】・下長沢前・小反【こぞり】・黒沢・田中・築楯・合海坂がある。寺院は,曹洞宗多福院・真宗大谷派顕行寺・真言宗延寿院(のち廃寺),葉山派修験教学院。神社は,七所明神・大天馬・権現堂・地蔵堂・文珠堂・大日堂などがある。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。明治11年の一覧全図では,反別281町2反余,戸数・人口は97・641。明治11年最上郡に属し,同22年豊里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262690
最終更新日:2009-03-01




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