ケータイ辞書JLogosロゴ 蔵岡村(近世)


山形県>戸沢村

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領。古口郷に属す。村高は「新田本新庄領村鑑」では元和8年355石余・元禄13年434石余,「天保郷帳」では966石余でほかに当村の枝郷として岩鼻村85石余・岩清水村266石余・万河原村46石余,「旧高旧領」では954石余。慶長16年正月10日の伊藤半兵衛宛伝清水光氏宛行状(伊藤文書/戸沢氏以前史料集)に「其上血針之儀も,長沢・猿羽根・古口・黒岡四ケ所義,出置候者也」とあり,伊藤半兵衛の知行地であった。また,元和5年2月11日付,夏井市介・大川与五兵衛宛斎藤伊予守外連署状(大川文書/戸沢氏以前史料集)に「五ケ所之内,蔵岡川向・津谷野・ふち打野共に,新田ニ開可申旨相渡申候」とあり,元和7年2月6日付,斎藤伊予守外連署状(同前)にも「清水之内,蔵岡村向新田に開申度存候,田池に罷成候者,七年休被仰付可被下候」とあり,新田開発が行われたことがわかる。なお「新庄古老覚書」にはこれに関連する寛永11年10月22日の北条六右衛門言上状が収められているが,本文書は検討を要する。当村ははじめ角間沢【つのまざわ】奥の山神社付近を中心に田畑を開いて集落をなしていたが,江戸期に入り最上川舟運が盛んになると当地に移った。蔵屋敷や蔵宿もできるほど舟運で栄え,2軒の船宿があった。枝郷岩鼻には佐々木典膳居住跡である岩花楯があり,土塁や内外濠が残っている。また安食久右衛門が神田村の蔵宿を勤めた。「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年・文化元年ともに57町余うち田方39町余,年貢高は明和3年・文化元年ともに809俵余うち田方709俵余,家数・人数は寛政6年68軒・352,文化9年68軒・387,文化9年の馬36。枝郷に角間沢・岩花・岩清水・出舟の各村がある。寺院は曹洞宗蔵岡山長林寺で,佐々木典膳の菩提寺であったが,真室川(現真室川町)所替後真室川木下にも長林寺を建立した。明治8年岩清水村を合併。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。明治11年の一覧全図では,反別172町7反,戸数・人口は100・631,蔵岡学校・岩清水学校がある。明治11年最上郡に属す。明治15年岩清水村を分離する。同22年古口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7262753
最終更新日:2009-03-01




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