- JLogos検索辞書>
- 興屋村(近世)とは
「興屋村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
興屋村(近世) 江戸期~明治9年の村名興野村とも書いた庄内地方,庄内平野東南端に位置するはじめ櫛引【くしびき】郡,寛文4年からは田川郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年庄内藩領,寛永9年丸岡藩領,承応2年幕府領,承応2年からは再び庄内藩領狩川通に属す村高は,元和8年の御知行目録では276石余,寛永元年の庄内検地高辻では興野村と見え280石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も変わらず幕末期の「弐郡詳記」によれば,家数27軒明治9年染興屋村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
興屋村(近世) 江戸中期~明治9年の村名興野とも書く田川郡のうち京田川左岸に位置する庄内藩領村高は「旧高旧領」で54石余広野新田村の猪俣興屋と称される地域とともに,元文2年に猪俣家の先祖が開田し,のち大山町の商人竹岡彦右衛門の手を経て安永5年には酒田の本間家に渡った(酒田市史上)鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年広野新田村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」