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菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治8年の村名伊那郡のうち天竜川に注ぐ南の沢川流域に位置する村名の由来は,延暦18年菅野真道が当地を中心にした100町を朝廷から与えられたことによるというはじめ旗本村上氏領,元和3年から幕府領となる榑木成村の一つ旗本知久氏の預り地で,同氏が支配を任された浪合・帯川・心川の3関所付の村でもあった「天正高帳」では菅野・吉岡として187石余「正保知行付」では菅野村として村高124石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに124石余吉岡村との分村は元和2年という北に真言宗千頭山藤本院がある氏神は子ノ神社戸数・人口は,天保10年20・88,安政3年21・108,文久元年18・101,明治元年20・104明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属同8年陽皐【ひさわ】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治11年の村名津軽郡平賀庄のうち岩木川の支流平川下流の左岸に位置するもとは境関村の枝村で,享保11年に分村した(村名改称并新村創立調)弘前藩領村高は,「貞享4年検地水帳」によれば境関村の枝村として村名が見え126石余(田93石余・畑屋敷32石余),「天保郷帳」106石余,「旧高旧領」130石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「冨田・西田」があり,反別は田7町8反余,畑屋敷6町9反余(うち屋敷2反余)の計14町8反余元禄3年には堀越組に属し,村位は上(平山日記)村内に寺社はない明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」によれば菅野【しかの】村と見え,戸数5,村況は「土地肥壌田多畑少し,農隙藁細工をなす」と見える同11年境関村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菅野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」