ケータイ辞書JLogosロゴ 谷口銀山村(近世)


山形県>金山町

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。新庄藩領。金山【かねやま】郷に属す。村高は,「吉村本新庄領村鑑」では明和3年・文化元年ともに21石余,「旧高旧領」23石余。「新田本新庄領村鑑」には「当村者飛森村(現金山町大字飛森)の地方なり,新田村にして何れの頃より別村に相成候儀知れず,然れ共寛文年中より庄屋を相立ると有り,古新田新畑共に金山十日町より別る」とある。家数・人数は,寛政6年5軒・30,文化9年4軒・33(吉村本新庄領村鑑)。村内の谷口銀山は萱務掃部によって発見されたというが,一説には金売吉次の見立てとも伝えられる。同山が最盛期を迎えた寛永年間から慶安年間当時,金鋪は66を数え,そのうちの1つは1日に正銀66貫目を採掘した。また挺屋の数は56で,毎日32貫目の吹銀を7匹の牛に付け新庄城下(現新庄市)に運んだという(寿永軒見聞録/最上郡史料叢書)。寛文6年と推定される9月5日付戸沢能登守書状(増訂最上郡史)には「彼山(谷口銀山)少々抜普請をも仕候はゝ人数五百人千人居住仕候ても其日々の口過計は可相成候由申候」とある。その後谷口銀山は,弘化年間頃に坑内の水抜きに失敗したため閉山となった(同前)。神社は,神明社・山神社。寺院は浄土真宗円称寺。同寺は明和9年十日町村枝郷幅村に移転したという(新田本新庄領村鑑)。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別19町8反余,戸数5・人口36。明治11年最上郡に属し,同22年金山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7263665
最終更新日:2009-03-01




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