ケータイ辞書JLogosロゴ 名高村(近世)


山形県>戸沢村

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。新庄藩領。古口郷に属す。村高は「吉村本新庄領村鑑」では明和3年656石余・文化元年685石余,「天保郷帳」では神田村枝郷と見え775石余,「旧高旧領」では1,150石余。当村は「吉村本新庄領村鑑」によると,神田村の野方で名高(鷹)野と呼ばれ,鷹場であったことがわかる。明暦2年中渡村百姓治兵衛はじめ19人は庄屋八郎左衛門と訴訟問題を起こし,万治3年19家161人が庄内藩領に逃げ込んだ。しかし寛文2年に帰参し,開墾地として松本が与えられたが,地味が悪く水不足のために寛文3年名高を開墾したという(増訂最上郡史)。その後しばしば洪水による決壊や冠水などに遭い,治水工事のため元禄15年1,600人・享保12年3,750人・同15年8,881人の人足を使役したという(戸沢村史)。その後享保14年,元文4・5年に洪水があり,明和6年の洪水では大門・置上の田畑が残らず流されたという。「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年57町余うち田方36町余,文化元年58町余うち田方39町余,年貢高は明和3年1,050俵余うち田方916俵余,文化元年1,105俵余うち田方980俵余,家数・人数は寛政6年60軒・357,文化9年68軒・390,文化9年の馬24。寺院は日蓮宗西中寺がある。明治7年西中寺境内に荒川一族19人の名を刻んで開発記念碑を建立する。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別120町7反余,戸数・人口は67・499,名高学校がある。明治11年最上郡に属し,同22年戸沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7264133
最終更新日:2009-03-01




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