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- 旅籠町(近世~近代)とは
「旅籠町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 旅籠町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治17年から一時期山形を冠称江戸期は山形城下のうち南は七日町と香澄町木の実小路,北は六日町,西は香澄町に接する北東部は万日河原と呼ばれた地域...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7264375]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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旅籠町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治初年~22年は亀岡を冠称江戸期は亀山城下16町の1つ亀山城築城に際し,郭内に取り込まれたもと古世村地内に下矢田村の住民を移住させて成立町名は他町と異なり旅籠が多くあったことによる(桑下漫録)京街道沿い東西64間の町並み御館の南に位置し,西は大手門前の新町・矢田町と接する「桑下漫録」による家数27本陣のほか人馬諸問屋・旅籠が並んでいた矢田社の祭礼に使用される山鉾の1つ,稲荷山を有す同山は各山中もっとも古い資料,寛延4年9月の日付のある装束箱を蔵している(亀岡市史)明治4年亀岡県を経て京都府桑田郡,同12年南桑田郡に所属同21年の戸数34(市町村合併史)同22年亀岡町の大字となり,昭和29年まで亀岡町旅籠と称す同30年から亀岡市旅籠町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
旅籠町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治初年から同22年まで久居を冠称江戸期は久居城下の1町で,町人地久居城下のほぼ中央部,本町の北に位置する地名は久居城下の旅人宿が設けられていたことから名付けられたという伊勢と奈良を結ぶ奈良街道の旅人宿で文化元年に遊郭が置かれ,八丁屋の宿屋や鶏告楼などにぎわいをみせていたが,明治41年久居町に陸軍51連隊が設置されてから遊郭は中町に移った明治5年久居郵便取扱所が創設され,同8年久居郵便局と改称し,昭和44年まで営業その後東鷹跡【ひがしたかと】町へ移転する明治20年の戸口は52戸・234人同22年久居町,昭和45年からは久居市に所属世帯数・人口は,同45年62・203,同50年70・214... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
旅籠町(近世~近代) 江戸期~昭和49年の町名江戸期は名古屋城下町続きの1町日置村のうち堀川に架かる日置橋から東へ入る町筋町名は,かつて朝鮮人来聘の時,当地に下級役人の宿泊所が置かれたことに由来する(尾張志)町家の発達に伴い,享保13年城下町続きとして町奉行の管轄下に入った(吏事随筆)東西にのびる町筋から南に入る小路が3本あり,東から観福寺裏・中道筋・敬円寺筋と称し,町筋北側の農家を北組と呼んだ(尾張志)明治4年下日置町の一部となるが,同11年分離独立して再び旅籠町となる同年名古屋区,同22年名古屋市,同41年からは同市中区に所属昭和49年松原1~3丁目・橘1~2丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
旅籠町(近世~近代) 江戸期~昭和53年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうち天満堀川1筋東,堀川橋通りから南の町(宝暦町鑑)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数22軒,役数32,うち無役数1(年寄),年寄は縄屋仁兵衛文化4年の買米に際し,2,000石分担者中に当町の伊賀屋半兵衛・同寿五郎の名が見える(摂陽奇観/浪速叢書5)明治2年大阪北大組,同12年北区,同22年からは大阪市北区の町名明治5年越後町・又次郎町・天神筋町の各一部を編入昭和53年南森町1~2丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」