ケータイ辞書JLogosロゴ 羽根沢村(近世)


山形県>鮭川村

江戸期〜明治8年の村名羽根ケ沢とも書いた最上地方,曲【まがり】川の支流羽根沢川中流沿岸に位置する最上郡のうちはじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領川口郷に属す村高は,「新田本新庄領村鑑」では元和8年19石余・元禄13年34石余,「天保郷帳」には羽根ケ沢村と見え69石余,「旧高旧領」では140石余地名は,「ハネ」は埴【はに】のなまりで,羽根沢は「赤土の沢」の意赤禿の山もあるところからついたと思われる(安彦好重:山形県の地名)なお矢羽根として鷹の羽根を献上し,「羽根ケ沢」と呼ばれたことに由来するという説もある(矢口耕作氏遺稿)当村には与蔵峠を経て庄内へ抜ける間道があるため,庄屋が口留番を兼ねて1人扶持を与えられていた(新田本・吉村本新庄領村鑑)「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年12町余うち田方7町余,文化元年13町余うち7町余,年貢高は123俵余うち田方101俵余,文化元年122俵余うち田方101俵余,家数・人数は寛政6年18軒・106,文化9年17軒・84枝郷に上野がある神社は,三宝荒神・山神明治8年中渡村に合併
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7264400
最終更新日:2009-03-01




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