ケータイ辞書JLogosロゴ 東法田村(近世)


山形県>最上町

 江戸期〜明治22年の村名。最上郡のうち。新庄藩領。下小国【おぐに】郷に属す。村高は「新田本新庄領村鑑」には「法田村の内東法田分」と見え,元禄13年424石余・宝永6年489石余,「天保郷帳」には「法田村枝郷」と見え424石余,「旧高旧領」631石余。家数・人数は,寛政6年56軒・261,文化9年54軒・258,文化12年の馬172,枝郷は初ケ沢・田中・中神・大又・楯内・久保田・マトフサキ(吉村本新庄領村鑑)。台地を牧野とした馬産が盛んに行われた。小国大工と呼ばれる優れた宮大工が当村から出た。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別85町3反余,戸数47・人口270。明治11年最上郡に属し,同22年東小国村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7264492
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ