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細屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
細屋村(近世) 江戸期~明治10年の村名加茂郡のうち佐渡ケ島中央東部,加茂湖南西岸幕府領村高は,元禄7年検地帳167石余,「天保郷帳」172石余元禄7年検地帳では田8町余・133石余,畑2町余・33石余,秣場12・柴山1・薪山1,名請人25宝暦7年青木村へ入会役として山役米を納めている天保9年の家数17・人数73,家大工2・糀屋1(橘鶴堂文庫文書)同13年年貢割付状では山役銀・茶畑が見える「巡村記」では,天保12年の家数17・人数73,高172石余,田8町余・畑6町余,取米56石余,神社は三島大明神宝暦4年名主が青竜寺村の兼帯となった明治10年旭村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
細屋村(近世) 江戸期~明治8年の村名細谷とも書いた会津地方北部,濁川西岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは加納荘に属したという会津藩領慶徳組に属す村高は,文化15年の村日記(県史10下)では359石余,「天保郷帳」354石余,「旧高旧領」369石余端村に上細屋がある慶長16年8月の大地震で村の西部の山が崩れたと伝える化政期の家数21軒,上細屋7軒(新編会津)寺院は曹洞宗大平山玉泉寺明治8年譲屋【ゆずりや】村・五分一【ごぶいち】村と合併して三谷【みたに】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
細屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」