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- 本道寺村(近世)とは
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![]() | 本道寺村(近世) 江戸期~明治6年の村名村山地方,寒河江【さがえ】川上流右岸に位置する村山郡のうち対岸の同名村と区別するために向本道寺・寒河江本道寺とも称したはじめ最上氏領,元和8年から幕府領村高は,元和8年86石余(編年西村山郡史),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに152石余,天保13年の村山石高帳でも変わらず神社は三宝荒神堂ほか3堂があり,同荒神堂には寛文6年の銘を有する鰐口が奉納されている明治元年の戊辰戦争の際には,10数軒の家屋が焼失した明治2年の明細書上帳によれば,石高146石余,文化元年高入新田4石余・同3年高入新田1石余,計152石余,反別は田6町9反余・畑3町8反余,家数41軒・人数245,農間余業として薪取り・はた織りを営み,小物成には漆代・蝋代・薪代・鱒代などがある明治6年月岡村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」