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- 水上村(近世)とは
「水上村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち「みなかみ」ともいう嘉瀬川が山地から平地に出る扇状地頂部の西岸に位置する小城【おぎ】藩領佐保川島郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」「文化郷村帳」では当村が万寿寺・宝珠寺領とある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに42石余,「天保郷帳」では50石余鎮守は七社神社寺院には臨済宗南禅寺派水上山万寿寺(不動明王,開基神子和尚)があり,64代天亨和尚は竜造寺隆信の曽祖父家兼の弟で勅願寺第1世となった傑僧である(大和町史)お不動さんと竜王池の伝説があるまた六地蔵・宝篋印塔,彦山権現小祠に奉納されていた懸仏(薬師如来)がある行事に荒神さん相撲(12月24日)がある「明治7年取調帳」では川上村の枝村として見え,「郷村区別帳」では大久保村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,川上村のうちに「水上分」と見え戸数32・人口112... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治9年の村名下益城【しもましき】郡のうち緑川上流右岸北方,東西に連なる山林高燥台地の南側に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」132石余,「正保郷帳」も同高でうち田49石余・畠82石余,「天保郷帳」132石余,「旧高旧領」142石余「肥後国誌」では砥用【ともち】手永に属し,高142石余,小村に馬場村・向水上村がある現在の国道218号横に高さ2.4mの弥勒菩薩座像の碑があり,笠石は直径1.5mの八角形,碑の横の高さ1m位の碑の前面に卍と道中妙祐の名と天文20年の銘が刻んである矢部の大男牛股九左衛門がここを通るたびに碑の笠石を抱えておろすが,当地の馬場村に住む大男与作が「又,牛股がおろしたか」とつぶやいて笠石をもとどおり載せていたという伝説がある熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年畝野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 水上村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」