ケータイ辞書JLogosロゴ 宮町(近世〜近代)


山形県>山形市

江戸期〜現在の町名明治17年から一時期山形を冠称江戸期は山形城下のうち康平6年に源頼義が勧請したと伝えられる鳥海月山両所宮を中心に,その門前町として栄えた羽州街道が整備されると街道集落となり,寛永年間に鳥居氏が馬見ケ崎【まみがさき】川を改修して当町の北方に流路を変えてからは,山形城廻りの町と接し,山形町のなかにとり入れられた寛永13年の領地目録(家世実紀)には,城廻りの町とは別に宮町村「村高3,605石余」とある南は四日町と歩町,北は宮町から分離した銅町に接し,東は馬見ケ崎川に至る元禄年間の屋敷数200軒半うち検断・無役御年貢蔵2,検断・組頭・筆取・小走無役23,行人屋敷無役2,役屋敷165軒半,家主233,借家・店借16,人数936高2,742石余,田104町余・畑20町余,百姓129,自身番所1,辻番所1(山形城下新古銘細記/山形市史資料40)城下町の中でもその面積はもっとも広く,町内には薬師町・円応寺町・花立川原などがあった寺院には禅宗慈光寺,宮町のうち薬師町には320石の薬師堂領をもつ天台宗柏山寺がある天保13年の村山石高帳の高3,466石余,「旧高旧領」では4,021石余明治7年宮町学校創立明治11年の一覧全図では,反別238町1反余,戸数390・人口2,054同22年山形市の町名となる昭和26年の人口1万1,754産業別人口では製造業が最も多く,市内第一の工業地域である近年西部工業団地が形成されて工場移転がすすみ,住宅地域として整備されつつある昭和39年から同52年にかけての住居表示実施により,宮町を中心に銅町・歩町【ぶまち】・鍛冶町・四日町・六日町・肴町などの各一部を編入して1〜5丁目が成立し,同時に一部が円応寺町・薬師町1〜2丁目・六日町・銅町1〜2丁目・北山形1〜2丁目・北町1〜4丁目・下条町1〜5丁目・檜町1〜4丁目・上【うわ】町1〜5丁目の各一部となるまた,同43年から同49年にかけての土地改良事業により一部が土樋【つちどい】・田端・飯塚口・内表東【うちおもてひがし】・島・樋越【とよごし】・梅野木前・河原田・行才【ぎようさい】・栄原・千刈・立道・銅谷口・本屋敷【もとやしき】・芳野・清江町・沖町などの各一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7264967
最終更新日:2009-03-01




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