ケータイ辞書JLogosロゴ 青津村(近世)


福島県>会津坂下町

 江戸期〜明治22年の村名。東青津村ともいう。河沼郡のうち。会津藩領。青津組に属す。江戸初期に西青津村を分村し(新編会津),以後東青津村とも称した。村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し東青津として,1,002石余,文化15年の村日記(県史10下)では1,100石余,「天保郷帳」には東青津村と見え984石余,「旧高旧領」937石余。なお,「元禄郷帳」にも東青津村と見える。慶長16年会津大地震により阿賀川が閉塞して山崎新湖ができ,当村の田畑の多くが冠水してしまったため農民たちは蒲生氏に減免を願い出た。翌17年3月10日には蒲生氏の奉行人から「東青津村肝煎百姓中」宛てに文書が発給され,「今度田畠悉海成にとそんし,百姓共迷惑仕候由,追々侘言申処,尤に候間,物成三分令用捨之候間,本免三つ弐分物成ニ算用仕」として年貢の減免を認めている(新編会津所収文書)。化政期の家数78軒(新編会津)。鎮守は稲荷神社。寺院は曹洞宗浄泉寺。亀が森古墳に青木村から移された,会津札所32番の青木観音堂がある。また,村内に生江一族が住したと伝える生江館跡がある。産物は米・菜種・菜種油・藍。明治4年の戸数78・人口461。若松県を経て明治9年福島県に所属。明治20年の戸数93・人口534。明治12年河沼郡に属し,同22年広瀬村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265390
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ