赤木村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。宇多郡のうち。相馬中村藩領。宇多郷40か村のうち。村高は,正徳元年の高辻帳(県史9)には見えず。「天保郷帳」では立谷村に「古者立谷村・赤木村・樋口新田 三ケ村」と注記があり1,488石余,「旧高旧領」775石余。「元禄郷帳」には立谷村枝郷として当村の名が見える。「奥相志」(相馬市史4)では「立谷邑の支邑なり。郷帳新田邑となす……寛永中清文冊に当邑を載せず。立谷邑の中に在りしか」とあり,明暦年間の村高397石余,元禄15年603石余とある。文久元年の家数39軒・人数248,馬44(奥相志)。神社は日吉神社・二宮神社。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同年の戸数47・人口324,馬49(宇多郡村誌)。同20年の戸数54・人口331。明治12年宇多郡に属し,同22年磯部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265409
最終更新日:2009-03-01