赤沢村(近世)
江戸期の村名会津地方中部阿賀川(大川)と日橋【につぱし】川の合流点北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領村高は文禄3年の蒲生高目録では赤伏・赤沢と見え409石余当村は赤星村(もとは赤伏村)の端村であったが,延宝年間に日橋川北岸にあってしばしば水害に苦しんでいた赤星村が同村の端村七壇とともに当地に移ったため赤星村の一部となった(新編会津)→赤星【あかほし】
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265422
最終更新日:2009-03-01