ケータイ辞書JLogosロゴ 浅見川村(近世)


福島県>広野町

江戸期の村名浜通り中部,東は太平洋に面し,西は阿武隈【あぶくま】山地南部の山麓,浅見川流域に位置する楢葉【ならは】郡のうちはじめ磐城平藩領,延享4年幕府領,安永年間に一時仙台藩預り地となる村高は,文禄4年の検地高目録では845石余(磐城志案録),「天保郷帳」では「古者浅見川村・長畑村・箒平新田 三ケ村」として1,111石余「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに浅見川村と見えるが,寛文年間に上浅見川村・下浅見川村に分村したものと思われ(広野町史),文政13年の八島田御役所村替の達並に操替につき歎願では上浅見川村と見える「旧高旧領」でも上浅見川村と下浅見川村が記されている中世の岩城氏家臣猪狩筑後守の居館高倉山,源義経が蝦夷征討の折に勧請したと伝えられる五社山(御社森)がある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265494
最終更新日:2009-03-01




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