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「新町村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

新町村(近世)


江戸期~明治8年の村名荒町村とも書いた会津地方南部,阿賀川(大川)上流に位置する会津郡のうち古くは田島郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領田島組...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7265566]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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新町村(近世)

 江戸期~明治23年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

新町村(近世)
 江戸期~明治3年の村名...

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新町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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新町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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新町村(近世)
 江戸期~明治9年の村名...

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新町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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新町村(近世)
江戸期~明治20年の村名豊前国京都【みやこ】郡のうち行橋平野の西部,山麓に近い小平野を通る街道付近に位置する地名は新しく成立した集落であることに由来する村名は,「正保国絵図」では「上久保ノ内新町」と記され,「元禄国絵図」ではじめて村高が記されているはじめ上久保村の一部であったが,元禄年間までに分村して成立した貝原益軒の「豊国紀行」にも「新町ハ七曲嶺ヲ東ノ方ニ下ダリツクシテ上野村ノナヲ東ニ有馬駅也」とあり,峠下宿であった「仏山堂詩鈔」にも「古駅依然今夜月……酔客何知我心事,歌呼徹暁響隣楼」とあるので,幕末は弦歌の街であったらしい村高は,「元禄国絵図」95石余,「天保郷帳」146石余,「旧高旧領」146石余享保飢饉の餓死者は72人(開善寺過去帳)宝暦14年木村徳右衛門は真古流の花道を創立,代々その統を伝えた(京都郡誌)地内には蛭子神社・軍八幡神社・水宮神社・須佐神社があるが,いずれも鎮守神ではない明治3年の新町村人別改帳によると,竈数70・人口313(男152・女161),うち諸札業者57・無高百姓91当地は物資の集散・中継の役割を果たしていたため財を蓄え藩に献金して子供役格を受けたものが6人に及んだ(豊津県帯刀之者言上書/県史資料4)明治13年居屋敷の仏堂が浄土宗西山派の金林寺となった同18年の地積は田10町余・畑3町余(京都郡誌)小学校は明治6年新町の商家を借りて設立,翌7年の生徒数は男50・女15同12年校舎を新町の字神事場に移し,新町・上野・下田・菩提・御手水・飛松・上久保・中久保・下久保の9か村の児童を収容,同15年には字居屋敷木村波太郎の酒蔵を校舎に改造して移った同20年松田村の一部となる現在は勝山町松田の通称...

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新町村(近世)
江戸期~明治8年の村名伊那郡のうち天竜川上流右岸,楡沢山麓の扇状地上に位置する県宝に指定されている縄文後期の仮面付土偶の出土地はじめ高遠【たかとお】藩領,元禄2年幕府領,同4年からは高遠藩領村高は,「正保書上」226石,「元禄郷帳」333石余,「天保郷帳」340石余,「旧高旧領」343石余このあたりには神戸村・鶉井村があったが,元和3年伊那街道宮所宿の困窮を助けるため新しく町割がなされ,宮所宿の加宿新町宿が取立てられ,神戸村・鶉井村はその枝村とされた(新町区有文書)新町宿は一月のうち下15日の人馬を勤めたが,以降も,宮所宿・新町宿の困窮は続き,天和2年両宿中間の宮木村が宿に取立てられ,両宿はその役割を終了した(堀内家文書)天和年間神戸の新田村として向袋・芦ケ口が開かれた明和8年の村明細書上帳(新町区有文書)による家数76・人数351,享和3年の村書上(同前)では,家数は,新町本村48・枝村神戸30・枝村鶉居11・神戸新田向袋7・同新田芦ケ口2の計98慶応2年は家数78と減少,人別446(同前)西の山裾に諏訪神社が鎮座し,その境内に古辺沢山神社がある古辺沢山神社は,もとこれより北西の山際にあり,馬の守り神として広く信仰を集めたが,明治42年の神社合併により現在地に移転されたなお西山が近いため作物の獣害も大きく,山裾を囲むように猪土手が築かれ,今もその跡が残る明治4年高遠県を経て筑摩県に所属同8年伊那富村の一部となる...

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新町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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新町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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新町村(近世)
江戸期~明治19年の村名岩手郡のうち北上川上流左岸に位置し,西流して北上川に合流する大坊川より北を占める北上川の沖積地を占め,全域が平坦地である盛岡藩領沼宮内【ぬまくない】通に属す村高は,「邦内郷村志」「旧高旧領」ともに12石余天和3年の金目高10石余(邦内貢賦記)もとは沼宮内村と一村で(管轄地誌),奥州街道に沿う沼宮内町の北部を村分けして成立した「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には村名は見えない「邦内郷村志」では,家数62「本枝村付並位付」によれば,位付は中の上,家数62奥州街道が縦貫し,街道沿いに人家が並ぶ「北奥路程記」によると,奥州街道に沿う沼宮内町の北に大坊川があり,橋より北を新町と記し,町並みの東に沼宮内村分の大蓮寺・沼福寺・丹内稲荷を描いている町並みの北端には木戸門と一里塚があり,盛岡より8里めにあたる明治元年松代藩取締,以後盛岡藩,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属同12年北岩手郡に属す同年の村の幅員は東西約5町・南北約10町,税地は田2町余・畑1町余の計4町余,人家・人口なしと記し,物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・稗・蕎麦・麻(管轄地誌)同14年の民有地は田2町3反余・畑1町8反余(県庁資料)明治13年に沼宮内戸長役場の管下となる同19年の戸数72・人口368(岩手町史)同年沼宮内村に合併...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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