ケータイ辞書JLogosロゴ 池原村(近世)


福島県>高郷村

 江戸期〜明治22年の村名。河沼郡のうち。会津藩領。野沢組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では45石余,文化15年の村日記(県史10下)では97石余,「天保郷帳」98石余,「旧高旧領」99石余。用水は寛保3年構築の西村堤を利用(新編会津)。塩坪村・西羽賀村出作(斎藤家文書)。当地を開拓した猪子五郎兵衛の子荘五郎が新田40石ほど開墾し,うち10石を自分でとり,残りの30石は村人に分け与えたと伝え,このため文化年間でも新田を開けば4分の1は肝煎に,残りは村人が分配する風習があった(新編会津)。当村では薪を坂下村に出し,稲こき用の「こき竹」で商売を行った(貞享2年風俗改書上)。明治3年には紙を漉いた(村鑑)。寛文10年の家数8軒,人数は男30・女25(万覚書)。化政期の家数15軒(新編会津)。北西部にある猿山の荘司沢には寿永年間出羽国の佐藤荘司が屋島の戦に赴く途中,馬をこの沢に落とした事にまつわる伝説がある(新編会津)。文久3年当村の増子庄吉らが片門村の渡しに船橋を架けた(斎藤家文書)。神社は延宝元年池上平内の創建による稲荷神社(神社取調帳)。明治3年の戸数12・人口186(村鑑)。同7年他村との合併の話があったが不便であるため独立嘆願書を出している(清野家文書)。同11年塩坪村・峯村と3か村の区民議員選挙が,川井村で行われた(清野家文書)。若松県を経て明治9年福島県に所属。明治20年の戸数12・人口88。明治12年河沼郡に属し,同22年新郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265631
最終更新日:2009-03-01




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