ケータイ辞書JLogosロゴ 石塚(近世)


福島県>会津若松市

 江戸期〜明治初年の町名。江戸期は若松城下郭外西部のうち。湯川と新町の間。町名は,中世に石塚氏の館があったことに由来するという(新編会津)。当町には石塚六軒丁がある。化政期の家数は6軒(同前)。当町には石塚六軒丁があり,丁名は,湯川西岸に家が6軒あったことに由来する。寺院は曹洞宗東昌寺・浄土宗長善寺・時宗弘長寺・観音堂。観音堂は蘆名直盛の創建と伝える。のち蒲生忠郷の母が観音堂を建て,荘厳をきわめたという。会津三十三番札所の1つ。東昌寺は,慶長年間に上杉景勝の会津移封に従って越後から会津に移った寺院。浄土真宗光正寺は寛文年間に廃寺となった。黄檗宗の寺院もあったというが不詳(同前)。当町は寺院の由緒などから,慶長年間以降に整備されたものと思われる。正保国絵図には,当町一帯は士屋敷と記されている。明治初年に日吉村などに含まれたと思われるが,詳細は不明。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265673
最終更新日:2009-03-01




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