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- 石森(中世)とは
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石森(中世) 南北朝期に見える地名田村荘のうち文和2年5月日の相馬胤藤着到状(相馬岡田雑文書/県史7)に「陸奥国宇津峯麓石森陣馳参」と見え,また同年月日の佐原宗連軍忠状(小荒井文書/県史7)にも「同四月五日石森下取陣,十五日責上石森峯」と見える奥州管領吉良貞家らの攻撃によって南朝方の北畠顕信,守永王の立てこもる宇津峯城は5月4日に陥落するが,当地は宇津峯城の出城として南朝方の一拠点であったことがわかる中通り中部,現在の郡山市田村町谷田川地内に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石森(中世) 戦国期に見える地名置賜【おきたま】郡屋代【やしろ】荘のうち天文3年4月10日付の浜田常陸守宛の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書/県史15上)に「屋代之庄一迫之郷内,こうり山修理在家之内,石森くねはな三百苅」と見え,当地の一部が浜田常陸守に安堵されている置賜地方,現在の高畠【たかはた】町大字高畠字石ケ森を中心とするあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」