ケータイ辞書JLogosロゴ 一ノ堰村(近世)


福島県>会津若松市

 江戸期〜明治22年の村名。会津郡のうち。会津藩領。南青木組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では一関として580石余,文化15年の村日記(県史10下)では896石余,「天保郷帳」880石余,「旧高旧領」868石余。端村に本羽黒【もとはぐろ】がある。化政期の家数は本村57軒・本羽黒7軒(新編会津)。萩原地蔵と呼ばれる六地蔵堂があり,寛永20年に炎上したが,元禄12年堂宇を再建したと伝えられる(会津鑑)。端村の本羽黒は隣村面川村の端村本羽黒と地続きで,旧名は飯田島という(新編会津)。本羽黒の地名は,羽黒神社があることにちなむ。寺院は天台宗光明寺。戊辰戦争では明治元年9月15日に村内で戦闘が行われ,会津藩士西郷刑部・秋月新十郎らが戦死した。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治4年60・315(若松県人員録),同20年58・372。明治12年北会津郡に属し,同22年門田【もんでん】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265776
最終更新日:2009-03-01




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