ケータイ辞書JLogosロゴ 一堰村(近世)


福島県>喜多方市

 江戸期〜明治10年の村名。耶麻郡のうち。古くは新宮荘に属したという。会津藩領。小田付組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では一関とあり723石余,文化15年の村日記(県史10下)では1,302石余,「天保郷帳」734石余,「旧高旧領」790石余。寛文5年の家数36軒・竈43,人数は男114・女87(小田付組土地帳/会津風土記風俗帳1)。化政期の家数は本村37軒,ほかに村の北部にある寛政10年廃田を再興した一地域は,八軒家といい,家数8軒,さらにその北にある寛政7年に開いた一地域は二軒家といい,家数1軒(新編会津)。神社は天神社。寺院は応永元年高野山の僧堯海の建立とされる真言宗関立山東泉寺。若松県を経て明治9年福島県に所属。同10年菅井村・渋井村と合併して一井村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265779
最終更新日:2009-03-01




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