ケータイ辞書JLogosロゴ 伊野下村(近世)


福島県>棚倉町

江戸期〜明治18年の村名伊野古町とも称した中通り南部,八溝山地の北端に位置し,久慈川沿岸の平地と台地から成る白川郡のうちはじめ幕府領,慶長9年からは棚倉藩領伊野上村とともに棚倉城下を形成古町・鉄砲町・下町およびその周辺農村の千駄櫃【せんだびつ】・中居(伊野中居)から成る慶長8年の検地帳には伊野村と記されており,のち伊野村が伊野上村・伊野下村に分村して成立したと思われる村高は,正保4年の検地帳(棚倉町史3)で376石余,延享4年の村明細帳(同前)では336石余,天保7年の松平康爵領村高(県史8)では425石余,うち古町336石余・中居分88石余,「天保郷帳」429石余,「旧高旧領」425石余享保14年の村明細帳(県史8)によれば,古町の家数158軒(うち本家89・借家69)・人数558,鉄砲町の家数42軒(うち本家26・借家16)・人数137,下町の家数45軒(うち本家29・借家16)・千駄櫃の家数27軒(うち本家8・借家19)文化14年の人数616で,家数は古町98軒(本家87・借家11),鉄砲町26軒(本家22・借家4),下町23軒(本家22・借家1),千駄櫃4軒(本家2・借家2)寛永年間に丹羽氏が亀が城(棚倉城)を築き,その城南の町場として発展した古町が最初に町割され,城下町建設のため上方商人を招いたという鎮守は秋葉神社寺院は真言宗勝儀山西迎院蓮台寺・臨済宗東光山隆福寺・真言宗宝光山密蔵院常福寺・浄土宗無石山了平院東林寺・天台宗光照院・本山派修験大正院正源寺があったが,蓮台寺・隆福寺以外は明治以後廃寺となった旧家井上氏が古町検断として庄屋などとともに町政を行った古町には問屋が置かれて伝馬役をつとめ,延享4年には肴問屋1軒・茶問屋3軒,大工1人・桶屋6人・畳屋3人・鍛冶2人などがあった(棚倉町史3)2・7日の六斎市が開かれ,大晦日の市は古町と新町(伊野上村)が隔年に開いたまた,毎年10月に馬産地として糶駒市が行われた戊辰戦争の際には大部分が焼失した磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属明治12年東白川郡に属し,同18年伊野上村と合併して棚倉町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265824
最終更新日:2009-03-01




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