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- 岩間村(近世)とは
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![]() | 岩間村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岩間村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国上道郡のうち笠井山北東端山麓,百間川中流域の沖積地に位置する村名の由来は,天平19年2月11日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(寧遺中)に見える「上道郡五十町 大邑良葦原 東山守江 西岩間江 南海 北山」の岩間江に当たることによる古くは東流する旭川支流の河口付近にあたり,備前国府の水運基地と考えられ,岩間神社の祭神にも海運の神綿積命が祀られている宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」178石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに212石余また「備陽記」では,高178石余,反別12町6反余,家数34・人数168岡山藩領手鑑によると,田が高175石余・反別9町1反余,畑が高31石余・反別3町4反余,蔵入地と家臣3人の給知,家数31・人数138社方1軒,牛12,樋4,石橋2とある用水は旭川から取水する祇園用水の分水を利用旭川の洪水から城下を守るために開削された排水路百間川が地内を東流し,河川敷に耕地をもつ農民はしばしば水損に苦しめられた寺院は真言宗岩間山西明寺山本院寺伝によると,最明寺入道時頼が巡国して堂宇を再興,また堂前の桜を称美浅黄桜と称したとある寛文年間の寺院淘汰策で,真言宗昭蓮院,宝性院が廃寺となっている(撮要録)氏神は権現宮江戸期には神仏混交の形で3神が祭祀されていたが,明治期に入って岩間神社と改めた明治4年岡山県に所属同5年の学制施行に伴い可知小学開設同8年米田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」