ケータイ辞書JLogosロゴ 牛沢村(近世)


福島県>会津坂下町

 江戸期〜明治8年の村名。河沼郡のうち。会津藩領。牛沢組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し755石余,寛文5年の万改帳では959石余,文化15年の村日記(県史10下)では1,142石余,うち牛沢組郷頭佐原家の新田17石余,「天保郷帳」1,147石余,「旧高旧領」1,116石余。端村に西牛沢がある。寛文5年の万改帳では家数136軒,うち西牛沢18軒,竈160・人数742,産物は米のほか麦・豆・粟・稗・黍・葱・タバコ・麻・油・油荏など,小物成として綿役・糠藁・山役があり,そのほか役漆木358本余・役蝋7貫532匁など(会津風土記風俗帳1)。化政期の家数は本村117軒・西牛沢20軒(新編会津)。村内に牛沢組の蔵2と社倉1がある。用水源である楢沢堰は慶安年間の構築,当村および船窪村・蛭川村の用水。そのほか寛永・明暦年間に構築された2つの溜池は大村との共用。当村在住の牛沢組郷頭佐原吉左衛門は明暦2年牛沢新堀堰の開削に着手,難工事の末,同4年に竣工し,これ以後,宮川西岸の台地の開発が進んだ(新編会津)。神社は若宮八幡神社。寺院は大徳寺。明治4年の戸数99・人口526。同8年蛭川村と合併して牛川村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265958
最終更新日:2009-03-01




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