ケータイ辞書JLogosロゴ 内木幡村(近世)


福島県>東和町

 江戸期〜明治22年の村名。安達【あだち】郡のうち。はじめ会津領,寛永20年からは二本松藩領。針道組に属す。村高は,宝暦10年の高辻帳で2,063石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに2,081石余。享保年間の家数276軒(積達大概録)。文政年間の畑作物の割合は桑・コウゾが4割5分,大豆小豆が4割,ほかはダイコン・ソバなど(大積覚書帳)。寺院は天台宗治陸寺など。木幡山弁財天の祭礼には歩行目付が出て取り締まりを行った。この弁財天に対して,初代藩主丹羽光重が明暦元年に荘田50石を寄付し,洪鐘を鋳造寄進した。同2年には将軍家疱瘡の注進により木幡山治陸寺へ銀30両を寄進して祈念させた(光重年譜)。寛永2年の一揆積達騒動に当村の農民たちも参加した(夢物語/県史10上)。寛文11年の人数473(人数改帳)。弘化2年寺子屋が開校され明治4年まで続いた(県教育史5)。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数233・人口1,462。明治12年安達郡に属し,同22年木幡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7265986
最終更新日:2009-03-01




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