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- 宇津野村(近世)とは
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宇津野村(近世) 江戸期~明治7年の村名内野とも書く村山地方,最上川と朝日川の合流点付近に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永8年幕府領庄内藩預り地,同9年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領東五百川【ひがしいもがわ】郷に属す村高は,「天保郷帳」および天保13年の村山石高帳ではともに279石余慶長5年9月の出羽合戦の際に上杉勢が「大瀬口(現白鷹【しらたか】町大字大瀬)より進み,宇津野を過ぎ,五百川を攻め」ている(日本戦史)天明7年の左沢領村々様子大概書下(県史13)によれば,反別15町3反余,家数45軒・人数175,馬13当村は米沢(現米沢市)・越後(現新潟県)への脇道にあたり,馬継場であった農間余業として,男は駄賃取り・薪取り,女は太布織り・青苧【あおそ】作りをしていた幕末期に熊野神社の神官である田村静によって寺子屋が開設され,60余名の子弟が育てられた(朝日町教育百年のあゆみ)明治7年松本村と合併して上郷村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」