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- 梅沢(中世)とは
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梅沢(中世) 戦国期から見える郷村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
梅沢(中世) 室町期に見える地名太田道灌状に「相州小沢要害,同十八日(文明9年)攻落候,如此励武略御迎参,奉引越利根河,五十子可被成御陣所旨存候処,景春上州勢衆引率,五十子・梅沢差寄張陣候」とある(武文)五十子【いかつこ】は現在の本庄市東五十子・西五十子をさし,梅沢は五十子の北,本庄市本庄に小名として残っているが,国道17号の東側を除いて日の出4丁目と町名変更されている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
梅沢(中世) 南北朝期に見える地名相模国鎌倉郡山内荘本郷のうち建武2年3月18日の新阿弥陀堂供僧以下料田坪付注文に,三位律師実修分として「田二町……〈四段梅沢〉」とあり,本郷にある新阿弥陀堂(証菩提寺)の供僧実修の料田が当地にあったことがわかる(証菩提寺文書/県史資3上‐3205)江戸期の上之村の小名に梅沢があり,現在の横浜市戸塚区上郷町のうちに推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」