ケータイ辞書JLogosロゴ 漆村(近世)


福島県>北塩原村

 江戸期〜明治8年の村名。耶麻郡のうち。会津藩領。はじめ大塩組,のち小沼組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録で1,855石余,寛文5年の大塩組風土記(会津風土記風俗帳1)では1,865石余,文化15年の村日記(県史10下)では1,751石余,「天保郷帳」1,645石余,「旧高旧領」1,172石余。端村に土合・谷地がある。寛文年間の家数71軒・竈89・人数518,土合は家数3軒・竈4・人数15,谷地は家数14軒・竈21・人数99(大塩組風土記)。化政期の家数は本村79軒・土合5軒・谷地19軒(新編会津)。神社は上諏訪神社・下諏訪神社。打越山大正寺ははじめ真言宗であったが永禄年間に廃絶したのち浄土宗の僧が住み,慶長5年には僧常海が来住して天台宗となった。また真言宗鷲嶺山松音寺は永禄年間に宥範が開基した。北東部の山上にある薬師堂は北山薬師または峯の薬師と呼ばれ,弘仁年間に空海が建立し別に大正寺を創立してこれを守らせたという伝説を持つ。その後,永禄年間に大正寺とともに廃絶したが慶長年間に蒲生忠郷が再興した。本尊の薬師像は会津五仏の1つである(新編会津)。東部の要害山上には永正年間に蘆名氏臣下松本勘解由が居住したという綱取城跡がある。そのほか村内には赤館・居館【いだて】・新井【にい】館などの館跡がある。用水は大塩川から引く綱取堰・小塩堰を利用。村内に小沼組中の米を納める米倉がある。もと岩崎村の肝煎であった遠藤家は元禄2年当村に移り小沼組郷頭を世襲した(同前)。肝煎は岩本家の世襲で,酒造業も営んでいた。幕末に谷地村・土合村を分村。明治8年下吉村・土合村・谷地村の3か村と合併して北山村となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266014
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ