ケータイ辞書JLogosロゴ 漆原組町(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名江戸期は若松城下郭外南部のうち南町の西方にある東西1条・南北6条の通り町名は,漆木が多かったことに由来するという当町の通りの化政期の家数は,一番丁31軒・二番丁32軒・三番丁31軒・四番丁17軒・五番丁14軒・六番丁14軒・竪町通17軒(新編会津)「新編会津」には一番丁・三番丁・四番丁・五番丁・六番丁に「南町分の地雑れり」とあり竪町通に「南町分西黒川小黒川分の地雑れり」とある江戸初期に蒲生氏郷が町割のとき当町に歩卒を置いたといわれ,足軽同心が多い(同前)正保絵図には五条(五番丁)までしかなく,足軽町と記されている竪町通は漆原竪町ともいい東西の通りで,西端に角場(足軽の砲術調習所)が置かれた明治初年頃南町分に編入したかと思われるが,詳細は不明
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266023
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ