ケータイ辞書JLogosロゴ 大在家村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方東部,猪苗代湖北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川西組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し194石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに272石余村名は,昔七在家と称した古在家・善明在家・半在家・九郎在家・新在家・宮在家・大在家の7つの村があり,中でも当村は6か村を管轄した大村であったことにちなむ(新編会津)化政期の家数13軒(同前)肝煎は山内家若松城下と猪苗代城下を結ぶ猪苗代街道が通っていた堂宇に猪苗代三十三観音第25番の観音堂がある鎮守は出雲神社慶応4年の産物は荷縄(猪苗代郷土誌稿)明治元年10月の村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年釜井村ほか4か村と合併して長田【おさだ】村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266146
最終更新日:2009-03-01




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