ケータイ辞書JLogosロゴ 大塩村(近世)


福島県>北塩原村

 江戸期〜明治22年の村名。耶麻郡のうち。会津藩領。はじめ大塩組,のち小沼組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録で1,030石余,寛文5年の大塩組風土記(会津風土記風俗帳1)では1,238石余,文化15年の村日記(県史10下)では1,002石余,「天保郷帳」978石余,「旧高旧領」1,014石余。村名の由来は村内に塩井があることによる(新編会津)。端村に大窪・上川前,小名に二沢・遅沢,木地小屋に松手小屋・原がある。寛文年間の家数98軒・竈120・人数729,大窪は家数18軒・竈21・人数121,上川前は家数20軒・竈21・人数112,明暦元年耶麻郡日中村から移住した松手小屋は家数7軒・竈10・人数74(大塩組風土記)。寛文年間に上川前村を分村(新編会津)。化政期の家数は本村88軒・二沢2軒・遅沢7軒・大窪24軒・原14軒(同前)。鎮守は,本村山神社,大窪は稲荷神社,ほかに温泉神社がある。石用山長泉寺はもと真言宗であったが,万治年間に若松恵倫寺尖英の弟子尖太が来住して以来曹洞宗となった。曹洞宗塩沢山西福寺は慶長年間に僧休庵が再興し,境内には地蔵堂がある。端村大窪にある真言宗金伝山正福寺は天正年間兵火にかかったが,同19年僧順教が再興した。北東部の山腹に虚空蔵堂がある(同前)。明治8年上川前村・下川前村を合併。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治13年159・930(県治統計表),同20年165・962。明治12年耶麻郡に属し,同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266166
最終更新日:2009-03-01




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