ケータイ辞書JLogosロゴ 太田村(中世)


福島県>原町市

 南北朝期から見える村名。行方【なめかた】郡のうち。建武年間と推定される相馬一族闕所地注進状(相馬文書/県史7)に「師胤〈一分跡,行方郡内大田村土貢六十貫文……先代被闕所,長崎左衛門入道拝領之〉」とあるのが初見で,元亨元年10月に五郎左衛門尉師胤は罪を得て,所領の3分の1にあたる北田村・大田村・吉名村3か村を鎌倉幕府に没収され,幕府はこれを北条高時の側近で得宗御内人の長崎思元に与えた。御使として現地に派遣された岩城次郎と結城宗広は近隣の高村内田在家までも長崎方に打ち渡したらしく,奥州相馬氏の惣領相馬重胤はこの紛争を契機に下総国から行方郡に下向した(県史1)。正平6年10月11日の相馬親胤宛ての陸奥国宣(同前)には「行方郡内於屋・大田・牛越・吉名四ケ村事,軍旅之間,為資粮之用足,可令知行給旨所候也」とあり,南朝方は恩賞を約して帰参を呼びかけているが,親胤は北朝方にとどまっている。延文3年11月20日の相馬親胤譲状(同前)には「太田村〈付馬牧山野〉」とあり,子息胤頼に譲与され,貞治6年8月23日の相馬胤頼譲状(同前)には「太田村〈付馬場郡良夫山〉」とあり,子息千代王丸(憲胤)に,応永2年10月21日の相馬憲胤譲状(同前)には「太田村〈付馬場桑良夫狩倉共仁,付内山狩倉〉」とあり,胤弘に譲与された。江戸期には上太田・中太田・下太田村に分村。浜通り北部,現在の原町市大字上太田・中太田・下太田に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7266180
最終更新日:2009-03-01




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